活動の履歴

主な活動 報告書
2023年
  • 在日ネパール人のための野球体験会を開始。(5月)
  • 公式マスコットキャラクターが「ねぱごん」に決定。(9月)、
  • NBSA役員が来日。東京、横浜、福島の関係各所を訪問。(9月)
  • 福島県とネパールの野球を通じた交流「シャクナゲ交流」開始。(9月)
  • 大阪マラソンのチャリティ寄付先団体に初選定される。(9月)
  • 「アジア野球交流会2023大阪」を開催(11月)

2022年
  • 別府市で立命館アジア太平洋大学公式野球部の学生らと交流会。(2月)
  • 事務所を大阪市港区に移転(6月)、
  • 「日本・スリランカ国交樹立70周年記念講演会」を計画するもスリランカの国内情勢の影響により中止(7月)。
2021年
  • 法人名を「NPO法人日本アジア球友団ラリグラス」に変更。小林洋平が会長、スジーワ・ウィジャヤナーヤカがゼネラルマネージャーに就任。(4月)
  • イッソー・タパによるオンラインネパール語教室を開催(5月)。
  • ネパールが「キャッチボールクラシックオンライン国際交流大会2021」のプレ大会(7月)および本大会(12月)に出場。
  • 在日ネパール人によるフットサル大会の「第1回BFCラリグラスカップ」を支援(8月)。
  • ネパールで「第1回NBSAラリグラスカップ」を開催(12月)。
(第1号)


 

2020年
  • 新型コロナウイルス感染拡大の影響で活動が止まる。
  • 大阪で野球交流会を実施(12月)。
 
2019年
  • NineForceが奈良県野球連盟に加盟(3月)。
  • 第2回ネパール全国野球大会開催(5月)。
  • ネパール国家スポーツ評議会副会長らが来日(5月)。
  • 第14回BFA西アジア野球大会出場(7月)。
  • 世界少年野球推進財団主催の野球教室にネパールが2年連続で招待される(8月)
  • 活動開始20周年を迎える(9月)。
  • 新理事のローシャン・タパ、ナワラジ・ブジェル来日(11月)。
  • 小林洋平に変わり、イッソー・タパが理事長に就任。ネパール野球の自立を推進できる体制を強化。小林洋平はスジーワ・ウィジャヤナーヤカとともに顧問に就任(12月)。
  • 20周年記念パーティー開催(12月)。
(増刊1)

2018年
  • グワハーティー(インド)で開催されたPRESIDENTIAL CUPでネパール代表が2位になる。(4月)
  • 世界少年野球推進財団主催の野球教室にネパールが5年ぶりに招待される(8月)
  • 多目的グラウンド「シリクール・ラリグラス・フィールド」開所(9月)
(増刊1)

2017年
  • ゴルカクルーのコーチ陣が来日研修。(1月)
  • 第13回BFA西アジア野球大会出場。国際大会初勝利。(2月)
  • SFTC全体会議でスポーツ庁長官より感謝状を授与される。(7月)
  • ニスカル・ケーシー君が北海道ベースボールアカデミーの研修プログラムに参加(7月)
  • ネパール代表選手2名が来日、06BULLSの練習生となり3ヶ月間に渡り研修を行う。(8月)
  • 東京都板橋区・舟渡小学校で「南アジア交流野球教室2017」開催。(11月)
(増刊)

(増刊2)

2016年
  • 東京のエベレスト・インターナショナル・スクール・ジャパンとともに「ネパール交流野球教室」開催(5月)
  • ネパールで「ネパール復興支援野球大会」開催(4月)
  • ネパールで「Sport for Tomorrow」のスポーツ教室に参加(2月)

2015年
  • 「Sport for Tomorrow コンソーシアム」の会員になる。(3月)
  • バクタプルで学校対抗野球大会を開催(3月)
  • ネパール語のルールブックを作成(3月)
  • ネパールで4月25日に大地震発生。小林理事長と鈴木事務局長がネパールに赴き、現地の状況を調査するとともに、バクタプルの被災者に支援物資を手渡す。(5月)
  • 東京のネパール人学校、エベレスト・インターナショナル・スクールで野球交流会を実施。(4月)
  • 現地指導者として重田大輝を派遣。(8月〜9月)。
  • 南アジア交流野球教室を開催。(11月)

(緊急)

(号外)

2014年
  • 日本テレビ「Going Sports&News」がネパール野球を現地取材。(4月)
  • 「日本・ネパール野球交流プログラム2014」を実施。ネパールから少年野球選手団を日本に招き、各地で親善試合などを行う。(8月)

2013年
  • ネパールに1トンの野球道具を輸送。
    (2月)
  • 国際野球連盟(IBAF)の総会にネパールが初参加。小林理事長と鈴木事務局長が出席。(4月)
  • ネパール野球連盟と友好関係にあるパキスタン野球連盟から依頼があり「東大阪・パキスタンU16野球友好試合」の実施 (6月~7月)。その後、12月にパキスタン野球連盟から表彰される。
  • NPO法人ネパール野球ラリグラスの会へ名称変更(8月)。ネパール野球15周年式典開催(8月)
  • 世界少年野球推進財団(理事長・王貞治氏)主催の野球教室にネパール(選手5名と役員1名)が招待される(8月)
  • イッソー・タパ君、ナワラジ・ブジェル君が来日、短期研修実施(8月)
  • 第1回西アジア野球審判講習会(スリランカ)にアビシ・カリキ参加。(11月)
  • イランの不参加により、パキスタンで開催の第11回西アジアカップに急遽出場。小林洋平がネパール代表の監督に就任し、監督賞を受賞する。ネパールが世界ランク48位に。(12月)
  • カトマンズでネパール代表とアメリカ人コーチ率いる武装警察チームの友好試合開催。(12月)

2012年
  • ポカラで野球用グラウンド建設のための現地調査を実施。(7月)
  • イッソー・タパ君06BULLS退団。(11月)
  • パキスタンでのPunjab International Sports Festival 2012にて銅メダル獲得。(11月)
  • 東北楽天の秋田佳紀コーチによるトレーニング講習会を開催。(12月)

2011年
  • パキスタンで第1回南アジア野球選手権開催。ネパール初の国際試合。ネパール代表チーム参加への支援活動を行う。ネパール世界ランク55位に。
  • イッソー・タパ君が06ブルズに移籍。

2010年
  • イッソー・タパ君を日本に再び招聘、関西独立リーグ・大阪ホークスドリームに入団しネパール人初のプロ野球選手誕生(11月)

2009年
  • ポカラハウス閉鎖(2月)。
  • 現地指導者として原田篤を派遣(2009年7月〜2009年9月)。
  • イッソー・タパ君を日本に招聘、ネパール人として初めてプロ野球独立リーグの入団テストを受験(11月)。
  • ネパール野球ソフトボール協会設立。

2008年
  • 第3回ポカラ・ベースボールトーナメント開催(4月)。
  • バクタプルにて、ポカラ、カトマンズの2チーム、バクタプルの計4チームによるトーナメント大会を開催。
 
2007年
  • ワンワールドフェスティバルに初出展、以降毎回出展。
  • 日本語教師として峯尾なつみを派遣(2007年3月~2008年3月)。現地指導者として藤岡恭兵を派遣(2007年7月〜2008年5月)。
  • カトマンズとバクタプルで野球を紹介。第2回ポカラ・ベースボールトーナメント開催(3月)。

2006年
  • 現地事務所兼日本語学校としてポカラハウスを設立(10月)。ポカラハウス運営リーダー兼現地指導者として小林洋平を派遣(2006年8月〜2007年3月)。日本語教師として糸賀恵理子(2006年9月~2007年12月)、小林剛史(2006年9月~2008年4月)を派遣。
  • ネパール人スタッフとしてヒラチャン氏、ビノッド氏、シャム氏、デビ氏、スニタ氏もポカラハウススタッフとして雇用。
  • 第1回ポカラ・ベースボール・トーナメント開催(11月)。
2005年
  • ホームページを開設。
  • 当会スタッフを中心とした草野球チーム「LALIGURANS」が始動。
2004年
  • 野球交流活動に参加したOB・OGが中心となり、ネパールで野球「ラリグラスの会」が発足。
  • 現地指導者として三浦昌広を派遣(2004年4月〜10月)
  • シャム・グルン君(ネパール人指導者)を育成。
2003年
  • カトマンズ大学で野球紹介活動。ポカラ選抜と試合を行う(ポカラ選抜が勝利)。
2002年
  • 「学生団体ネパール野球交流活動グループ」に改称。
  • 現地指導者として園田健弥を派遣(2002年5月〜2003年3月)。
  • ネパール語の野球ルールブックを作成。
前半

後半

2001年
  • 現地指導者として花倉雄宇也を派遣(2001年3月〜2002年3月)。
  • 初のポカラ市内学校対抗トーナメント大会を開催。
前半

後半

2000年
  • 「学生団体ネパール野球紹介活動グループ」に改称。
  • 野球が続けられていたのを確認し、ルールを中心とした紹介。
  • 元阪神タイガース監督の吉田義男氏と会談、ご指導を受ける。
  • アマ・シン・セカンダリースクールで2チームを作り、対抗戦を開催。
1999年
  • プール学院大学(大阪府・堺市)のネパール研修中にネパールでは野球が全く知られていないことを知る。赤松弘章を中心に「学生団体プール学院大学野球を広める会」が発足。(2月)
  • アマ・シン・セカンダリースクールの学生20名に「これがボールです。」と道具の説明から野球交流活動がスタート(9月)